国指定重要文化財 旧日野医院

 この建物は明治27年(1894年)に日野医家3代目にあたる日野要(かなめ)によって建てられました。擬洋風の本館と和風病棟からなる貴重な建築遺構で、平成4年10月から平成7年10月にかけて保存修理が行われ、平成11年12月に国指定重要文化財となりました。

  本館は木造2階建、寄棟造(よせむねづくり)、桟瓦葺(さんかわらぶき)で、県内に現存する洋風建築の最古といわれています。洋風らしい外観を持つ玄関ポーチは、柱頭に龍の彫り物を入れ、欄間(らんま)の輪郭をアーチに似せています。設計者は棟木墨書(むなぎぼくしょ)に別府浜脇佐藤平吉とあります。

病棟は木造2階建、寄棟造、桟瓦葺で建築年代についての記録はありませんが、明治32年の開業前と考えられます。工事期間は木材の調達を含めて約6年、従事した人員は棟木墨書に42人の名前が見えます。また、建築費用は2万円を要したといわれています。小屋組はキングポストトラス(洋小屋組)なのに陸梁は太い丸太材を使ったり、壁は全面にタスキ斜材(筋違い)を入れたり、ポーチ柱頭飾りに阿吽(あうん)の龍を配し、ポーチ天井を折り上げ格縁(こうぶち)に組んだり、窓は石組風枠飾りに横引きのガラス窓とするなど、擬洋風の特徴をよく表しています。 離れは、桁行5間、梁行2間、屋根は寄棟造り桟瓦葺の建物です。この座敷及び縁は温突(オンドル)式の床暖房がほどこされています。温突は、当主要が朝鮮に行った時に温突を見て、昭和6年頃にこれを真似て建てたもので、時には寝室として使用していたと伝えられています。 

この時期の日本の洋風建築は庁舎・地方郡役所・学校・銀行などの公共建築が主で全国に540~550戸程度しかなく、しかも個人医院として病棟を併設した建物は他に類を見ない貴重な建物です。平成7年に当地を訪れた鈴木博之東京大学教授は、同時代に建てられた北の山形済生館(ローレンツ)と、この南の日野医院とは、官民の差はあっても医学黎明期の貴重な遺産である」と語っています。

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旧日野医院外観

院内間取り図

旧日野病院アクセス

■所在地:〒879-5113 大分県由布市湯布院町川西467
■高速湯布院インターから車で5分
■JR南由布駅から歩いて5分